葉巻百貨<キューバ産・ドミニカ産・ホンジュラス産などの一般シガー>

「酒とシガーはビジネスのパスポート!」と言われる程、これまで世界中の偉人達が創りだした物語の中では、必ず酒とシガーが脇を固めています。このパスポートをあなたのブランディングスキルに、或いはあなたがこれから創る物語の脇役に加えていただければ光栄です。
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| 高級タバコ | 13:15 | comments(15) | - |
TRINIDAD(トリ二ダード)
いまだにどこの店でも買うことはできないが、近年、選ばれた少数の人のみが吸うチャンスを得た幻のシガー。その人々とは、1994年10月にパリで開かれたマービン・シャンケン(シガー雑誌の編集人)主催の「世紀の晩餐会」に招待された164名のゲストだ。この晩餐会で、トリ二ダードの唯一のサイズであるラギートNo.1(コイーバ・ランセロに似ている)が、食前のシガーとして振る舞われた。コイーバのどのシガーよりもダークなラッパーに、大地のような深い味わいを持つこのシガーは、むしろ食後にふさわしいと感じたゲストもいたことだろう。



このシガーの生い立ちは謎に包まれている。自身はシガーを吸わないフィデル・カストロが、コイーバの市販化に伴い、それに代わる国家元首らへの贈り物用としてトリ二ダードを作らせた、というのが通説であった。だが、1994年に雑誌のインタビューの中で、カストロ自身がトリ二ダードの存在すら知らないと語ったのだ。彼は、シガーを愛好する知人たちには、引き続きコイーバを提供することに何の不都合もないと考えている、と話した。



そうすると、エル・ラギート工場にトリ二ダードの製作を依頼したのはいったい誰なのか。キューバ政府の高官以外に、その答えを知る者はまだいない。
| シガー・カタログ | 16:45 | comments(0) | - |
GLENFIDDICH(グレンフィディック)
世界で一番売れているシングル・モルト・ウイスキーは、主要なボトルの熟成年数を長くしただけでなく、ハバナ・リザーブやクーランのように議論の的になるような新機軸の商品も紹介してきた。



グレンフィディック蒸留所はダフタウンの、蒸留所と同じ名前の小さな川のほとりにある。フィディックとは、「鹿の谷を流れる川」という意味で、それゆえに会社の紋章は雄ジカとなっている。



有名であると呼ばれるにふさわしいこの蒸留所は1886年から1887年にかけて創立された。現在も創業時の一族が経営に当たっている。第二次世界大戦後の好景気の間、同社は比較的小さな会社であったので、大きな会社との激しい競争にさらされた。1963年に蒸留所が決断したことは、大会社のブレンダーにウイスキーを供給するよりも、自社のウイスキーをシングルモルトの形でボトリングし、入手しやすくすることであった。ブレンディッドスコッチに支配されていた業界は当時、この決定を愚かなことと見なした。シングルモルトは、イングランド人と他の外国人にとってあまりにも強烈、独特、あるいは複雑すぎるというのが、当時、広範に受け入れられていた考えだったからだ。



この独立した精神は1つの見本であり、それなしには、他の蒸留所もシングルモルトを瓶詰めして売り出そうとはしなかったであろう。シングルモルトの愛好家たちは、グレンフィディックに対して恩義を感じている。シングルモルトをこのように早くスタートさせたことが、グレンフィディックの成功の礎となった。また、モルトの中では比較的穏やかな味であったことも、疑いもなく幸運なことであった。



より大きな試みを受け入れたいモルト愛好家は、熟成年数が長いバージョンにはるかに高度な複雑さを見出すであろう。たとえば最近の新商品、15年の熟成の後、ソレラシステムでヴァッティングされたグレンフィディックなどにである。 グレンフィディック蒸留所は個性にあふれている。グレーがかった蜜蜂色の石でできた創業当初の建物が、現在も美しい形で残っており、そのスタイルはごく最近の新しい建物にも活かされている。また、グレンフィディックは初めてビジターセンターを設置した蒸留所でもある。このビジターセンターはモルト愛好家のためではなく旅行者のためのものだという意見もあるかもしれないが、ハイランドのこの地域を訪れたならば無視すべきではない。 本当に伝統を守っている点は、2つのスチルハウスのうちの1つで、石炭の直火焚きのスチルを使用していることである。スチルは小さく、ウイスキーは主として「プレーンオーク(リフィル・バーボン)」で熟成されるが、約10パーセントはシェリー樽で熟成される。様々な樽で熟成されたウイスキーは、プレーンオークでマリッジされる。



ウィリアム・グラント社はまた、グレンフィディックの敷地に隣接しているザ・バルヴィニー(1892年創業)と最近できた(1990年)キニンヴィ蒸留所も所有している。キニンヴィは、スチルハウスだけの存在にすぎない。そのリッチでクリーミーなモルトは、グラント社のブレンディッドに使われるが、まだシングルモルトとしては瓶詰めされていない。同社はスコットランドの他の場所に、ガーヴァンというグレーンの蒸留所をもっている。
| モルトA to Z | 17:08 | comments(2) | - |
THE GLENLIVET(ザ・グレンリベット)
2001年のウイスキー業界の大きな買収における、輝かしい賞品は、スコットランドで最も有名なウイスキーの谷にあるこの蒸留所だった。この谷は、スペイ川に流れ込むリベットという川の谷である。生産地域の中でもリベット谷は山々の一番奥深いところにある谷で、そこを流れる水は、しばしば何マイルも地下を流れる。山岳地帯という環境もまた、ウイスキー蒸留業者が好む天候をもたらす。蒸留が進行している間、冷却器が最も効率よく機能するのは、非常に冷たい水によって冷やされ、なおかつそれにマッチした気候のときである。この地域で造られるモルトウイスキーは、比較的ライトだが、非常にクリーンで、花のような風味があり、繊細、そしてエレガントである。



リベット谷の名声には歴史的な起源もある。それは、ローランド地方とハイランド地方の蒸留に異なる法律と関税が適用されていた時代のことである。大都市に近いローランドのディスティラーたちは合法的な事業として扱われていた。しかし、大都市から遠く人口がまばらなハイランドは、谷ごとに非合法の蒸留所や密輸業者がいると見なされていた。リベット川の谷は密造酒造りの巣窟として有名であった。1824年の合法化の後は、かの伝説的な「グレンリベット産」のスビリットは、南のほうにあった都市の商人たちの間での需要が高かった。



この谷からあまりに遠い数々の蒸留所は、グレンリベットがスペイサイドと同義語であるかの印象を与えるようにこの谷の地名を使ったが、このような名前のつけ方は、シングルモルトに対する関心が高まり生産地の問題に注意が集まるにつれて、次第に廃れていった。谷の(そして、おそらくスコットランドで)一番高いところにある蒸留所は、現在ブレイヴァルと呼ばれている。最近まで、ブレイズ・オブ・グレンリベットと呼ばれていた。この蒸留所は蜂蜜っぽく、オレンジピールっぽいウイスキーを造る。少し低地に行くと、タムナヴーリンがあり、そこのモルトはとくにライト・ボディである(ただし、丘をちょうど越えた隣のエイボン渓谷にあるトミンタウルのウイスキーの方がよりライトな味である)。 この地にある1つの蒸留所だけが、ザ・グレンリベットと名乗ることが許されている。これは政府公認になった最初の蒸留所であり、今や国際的な評判を得ている。「ザ」と定冠詞をつけることは限定され、ザ・グレンリベット蒸留所を所有しているシーバスのオフィシャル・ボトリングだけに表示されるようになっている。そのようなボトリングは、最初にこのビジネスを確立した父と息子に言及して、「ジョージ&J.Gスミスによる蒸留」とラベルの最下部に小さい文字で表示されている。


マクゴウワン(McGowan)のような典型的なスコットランド人の名前におけるように、「ゴウ」と発音されるゲール語の「gobha」は、スミスと訳される。一説では、ゴウ家はボニー・プリンス・チャーリーを支援していたために、後に自分達の名前をスミスに変える方が政治的に安全だと考えたということであるが、この解釈には疑問の余地がある。



ゴードンこうしゃくがウイスキー蒸留業者を合法化するよう提案した時、認可を申請した最初の人物は彼の小作人の1人であり、すでに密造ウイスキーを造っていたジョージ・スミスであった。彼の息子であるジョン・ゴードン・スミスは父親を助けて後を継いだ。近接する2つの敷地で蒸留した後、1858年にスミス一家は現在地である、リベット川とエイボン川の合流点に近いミンモアに移った。蒸留所は、草の茂る渓谷が山々のほうに向かって険しく傾斜し始める地点に建っている。



1880年、「ザ・グレンリベット」は他では使えない名称として法的に認められた。会社は1953年まで独立していたが、同年にグレン・グラントと同じ所有者の傘下に入った。1960年代、かなりの量のウイスキーがゴードン&マクファイルに購入され、その結果、ゴードン&マクファイルによるボトルが売り出された。これらの非常に古く、そして時には蒸留年付きのバージョンは、ジョージ&J.G.スミスのグレンリベット・ウイスキーであると表示されている。



ザ・グレンリベット、グレン・グラント、ロングモーン、そして、ブレンド会社のシーバスは、1977年に北アメリカ及び世界的規模の飲料品グループのシーグラムに買収された。以来、オフィシャル・ボトルが精力的に販売促進されてきている。



アメリカの巨大市場で最も販売量が多いシングルモルトであることから、ザ・グレンリベットは平凡なウイスキーであると思われているかもしれないが、実際は質感に富み複雑さがあるウイスキーである。このウイスキーは少し硬度の高い水で蒸留され、麦芽のピート香は軽いほうである。使用されるカスクの3分の1は、シェリーカスクだが、ファースト・フィルの割合はかなり少ない。
| モルトA to Z | 20:09 | comments(0) | - |
LAPHROAIG(ラフロイグ)
これは最も薬品のようなモルトである。病院のガーゼの臭いがするというべきか?薬品くさく、口内洗浄剤や消毒薬を思い起こさせるのだろうか?すなわち、ヨード香がして、海草のようなアイラ独特の個性である。



この有名なラフロイグのアタックは、近年若干弱くなっているが、その結果、モルトが本来もっている甘さは、よりはっきりとしたものになっている。しかし、それでもなお、個性豊かなウイスキーであり、他とははっきり異なるオイリーなボディをもっている。ラフロイグは、アイラ島に自らのピート採掘場を所有しており、キルブライド川に自らのダムがある。そして、蒸留所でフロアモルティングを行い、比較的小さなスチルをもっている。その熟成庫は海に直接面している。



この蒸留所は、1820年代にジョンストン家によって建てられ、その家系の名前は依然としてラベルに印刷されている。1847年に、創業者が造りかけのウイスキーの大樽の中に落ちたあとに亡くなった。1950年代後半から1960年代前半まで、ミス・ベッシー・ウィリアムソンという女性によって所有されていた。この女性は、壁に掛けられた肖像写真から判断すれば、魅力的な婦人であったと思われる。この地のロマンスに因んで、蒸留所の中では時々結婚式が行われるほどである。蒸留所の一部は村の公民館としても利用されている。
| モルトA to Z | 18:21 | comments(0) | - |
CAOLILA(カリラ)
2002年のアイラ・フェスティバルで、所有者のディアジオによって粋な箱に入れられた3種類のカリラが「ヒドゥン・モルツ」という新しいシリーズの一部として発売された。フェスティバルに参加した人々は、ウィスキーライターとともにテイスティングする機会を与えられた。現代風マーケティング手法が明らかに存在していた。しかし、それだけでなく、アイラモルトが世襲されていることもまた明らかであった。イーラッハ(アイラの人)である所長のビリー・スティッチェルは、業界に関わってきた家系の4世代目にあたるが、素晴らしいスピーチを行った。公にスピーチをするのは彼にとって初めてのことだった。


このとき、カリラでもう1つの発表があった。ヒドゥン・モルト・シリーズはディアジオの他の3つの蒸留所、クラインリーシュ、グレン・エルギン、グレン・オードからも登場することになるということだった。当分はそれぞれの蒸留所は1つの熟成年数のものだけを発売するということだ。


このように公式発表という形で、また、暗黙のうちに新しいシリーズの中心的商品としてカリラのオフィシャル・ボトルが発売されたことにより、カリラは隠れてなどいなくなった。近年、このモルトはより容易に入手できて、さらに堪能できるようになった。


正確には「クル・イーラ」と発音される蒸留所名は「アイラの海峡」を意味している。ゲール語では、「caol」より「kyle」という方がより一般的であるボート・アスケイグ港の近くの入り江にあり、スチル・ハウスの大きな窓から、ジュラ島まで音をたてて走るフェリーが横切るアイラ海峡が見下ろせる。蒸留所が一番よく見えるのはフェリーからだ。


1970年代に造られた外観は、以前は粗野であると思われていたが、現在は時代の傑作として認められ始めている。中に入ると、蒸留所は機能的であり、かつ、魅力的である。たとえば、仕込み槽の上の銅製の覆い、真鍮色のふち飾り、平べったい玉ねぎのようなウォッシュ・スチル、洋梨型のスピリット・スチル、オレゴン松のウォッシュバックである。建物の中には1879年に遡るものもあるが、蒸留所は1846年に建てられた。


蒸留所の背後にはフクシア、ジギタリス、野ばらに覆われた丘が迫り、その丘は蒸留所の仕込み水を引いているピーティな湖に向かってそびえている。その水はきわめて塩辛く、ミネラルを含み、石灰岩から湧き出たものである。いくつかのブレンディッドウィスキー用のウィスキーを造っている現代的で機械化が進んだ蒸留所として、カリラは長年にわたってピート焚きに様々な段階をつけてきた。それはインディペンデント・ボトリングに明白にあらわれている。
| モルトA to Z | 21:14 | comments(0) | - |
BUNNAHABHAIN(ブーナハーブン)
正体がわかりにくいブナハーブンの新しい出発は、新たなミレミアムにおいてアイラが再生することを確固たるものとした。正体がわかりにくいとはどういうことかと言うと、ブナハーブンはアイラの蒸留所の中でも一番わかりにくいところにあり、表面的には最も難しい名前であり、最も微妙な繊細さをもつウィスキーである。ブナハーブンは、バーン・スチュワート・グループのもとでトバモリーとディーンストンの仲間となった。この会社は、極東ではスコティッシュ・リーダーズというブレンディッドウィスキーで知られているが、ブナハーブンを獲とくしたことによって、アイラ島のすべての蒸留所のモルトを含んでいる、カルト的とすら言えるブレンディッドであるブラック・ボトルも獲とくしたことになる。この買収のタイミングでちょうど、バーン・スチュワート・グループは、「スーパープレミアム」ウォッカであるベルヴェデールだけでなく、予想外の中心商品としてアンゴスチュラ・ビターをも有する企業グループに参加したばかりだった。


ブナハーブン蒸留所は、以前の所有者であるエドリントンがうまく管理してきていたが、その製品の生産に関しても、そのマーケティングに関しても一貫性がなかったと言える。当時、樽の在庫は減り続けており、これは、アイラ島を代表する歌である「ウェスタリング・ホーム(西の故郷へ海路を進む)」の歌詞をラベルに印刷しているウィスキーとしては好ましくない状態であった。なにしろ、ブナハーブンは、繊細ではあるが、それにもかかわらず、アイラの海岸的な特徴をもっているからである。 蒸留所は1881年に建てられ、1963年に拡張された。それは人里離れた入江に中庭を囲んで建っている。縁石は来訪者の車が海に転がり落ちるのを防ぐために置かれた。近くの難破船から持ち出された鏡が壁から下がっているが、それは一時期、緊急の用で所長が必要となったときに、彼を家から呼び戻すために使われていた。蒸留所の水は石灰岩を通って湧き、パイプで蒸留所に運ばれるので、途中でピートを取り込まない。スチルは大きく、業界では玉ねぎ型と言われ
る形をしている。
| モルトA to Z | 21:13 | comments(0) | - |
BOWMORE(ボウモア)
Dawn(夜明け)、Dask(夕闇)、Voyage(航海)、Legend(伝説)のような想像をかきたてるボトルの名前は、この場所の幻想的な性格を強調している。ボウモアの村はアイラ島の「首都」であるが、ただの村でしかなく、そこではラーガン川がロッホ・インダールに流れ込んでいる。じめじめしている荒野の外れにある円筒状の教会は丘から港を見下ろしている。


1779年に創立された蒸留所は、見事な状態のまま維持されているが、村の学校と間違えそうだ。学校の建物にもパゴダの飾り屋根がついている。地理的にも風味のうえでも、ボウモアのウィスキーは南海岸の激しいモルトと、北海岸の穏やかなモルトとの中間に位置している。しかし、その特徴は両者の妥協点と言うべきではなく、むしろ謎のようなものであり、テイスターたちはその複雑さを解き明かすことの困難さを知っている。仕込み水は、鉄を少々含む岩から湧き上がり、ラーガン川となって、苔、シダ、イグサの間を流れて下り、その間に土壌からピートを取り込む。島の高台のピートは根が多いが、ボウモアのピートはより砂っぽい。


蒸留所は独自のモルティングをしており、ピートは粉砕され、着火され、熱よりもむしろ煙を発生することになる。ボウモアの麦芽は、アイラ島の他のより激しいウィスキーに使われる麦芽よりも短い時間でピート焚きされている。このウィスキーの約30%がシェリー樽で熟成される。他の蒸留所に比べて西風に曝されているので、アロマとフレーバーの混ざり合いの中に、より多くのオゾンが含まれているのかもしれない。
| モルトA to Z | 21:12 | comments(0) | - |
BAUZA(ボウザ)
ボウザのボックスには、革命前のハバナの名残を感じることができるが、そのシガーは現在、ドミニカ共和国で生産されている。ラッパーはエクアドル産、フィラーはニカラグア産とドミニカ産のブレンド、バインダーはメキシコ産が使われていて、その組み合わせが非常に心地よいアロマと、マイルド〜ミディアムの味わいを醸し出す。シガーはていねいに手で巻かれている。


ただし、ショートフィラーを使ったプレジデントは、ほかのものより質が落ちるので注意が必要。価格はきわめて手頃だ。
| シガー・カタログ | 18:11 | comments(0) | - |
RAMOM ALLONES(ラモン・アロネス)
1837年創業のラモン・アロネスは、ハバナのブランドの中では知名度が低いものの、世界有数のフルボディ・シガーとして愛好家の間にファンが多い。中価格帯のキューバ・シガーの中では最上位にランクされるブランドで、コイーバとモンテクリストには劣るが、アップマン、パルタガス、ロメオ・Y・ジュリエッタらと肩を並べる。大部分がハンドメイドだが、いくつか機械製のサイズ(ベルベデーレ、ミル・フレール、デルガドス、トッパーズなど)もある。


ラモン・アロネスは、フルボディ・シガーで有名なパルタガス工場で作られている。これは、1920年代にこの工場が有名なシフエンテス一族に買収されて以来のことだ。またラモン・アロネスは、8‐9‐8というパッケージ方式を最初に始めたブランドでもある。


ボックスに描かれたエンブレムはスペイン王室の紋章だ。ラモン・アロネス自身はスペインのガリシアからキューバに渡った移民で、シガー・ボックスにカラフルなラベルを貼るアイデアを最初に始めた人物として知られている。


ラモン・アロネスのシガーはいずれも比較的フルボディで、強い芳香が特徴(パルタガスに近いが、同じ工場で作られているボリバーほどではない)。良質なダーク・ラッパーを使用し、丁寧な作りで、燃え具合も非常に良好だ。小型のサイズはより色が薄く、味もマイルドだ。フィラーにはリヘロの葉がふんだんに使われているため、初心者には重すぎるかもしれない。8‐9‐8コロナはランチの後にふさわしく、ヒガンテ(プロミネンテ)、8‐9‐8チャーチル、スペシャリー・セレクテッド(ロブスト)などはディナーの後に最適だ。非常に細いラモニタスはあまりおすすめできない。ラモン・アロネスのシガーは、熟成させると非常に味が良くなる。


また、ドミニカ共和国でもラモン・アロネスという名前の非常に良いシガーが作られている。バンドのデザインはキューバ産とほぼ同じだが、形は丸ではなく四角で、やや大きい。マイルド〜ミディアムのきわめて質の高いシガーだが、かなり高価だ。キューバ産とは異なり、発売されているサイズの大部分がアルファベットで呼ばれている。ジェネラル・シガー社が生産するドミニカ共和国産ラモン・アロネスは、カメルーン・ラッパーに、メキシコ産バインダーとドミニカ、ジャマイカ、メキシコ産をブレンドしたフィラーを組み合わせている。クリスタルは1本ずつガラスのチューブに入れられている。
| シガー・カタログ | 18:03 | comments(0) | - |

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