葉巻百貨<キューバ産・ドミニカ産・ホンジュラス産などの一般シガー>

「酒とシガーはビジネスのパスポート!」と言われる程、これまで世界中の偉人達が創りだした物語の中では、必ず酒とシガーが脇を固めています。このパスポートをあなたのブランディングスキルに、或いはあなたがこれから創る物語の脇役に加えていただければ光栄です。
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H・UPMANN(H・アップマン)
ヘルマン・アッブマンはヨーロッパの銀行家一族の一員で、大のシガー愛好家だった。このため、1840年前後、彼が自ら志願してハバナに銀行の支社を開いたのも驚くべきことではない。本国に送ったシガーが大変好評だったため、彼は1844年に、とあるシガー工場に出資した。会社は銀行業でもシガー製造業でも順調にいっていたが、1922年にまず銀行が、次いでシガー事業が破綻した。そこでJ・フランコウというイギリスの企業がシガー部門を救済して工場を運営したが、1935年には新たに創設されたメネンデス・イ・ガルシア社がこれを買い取った。


1944年、ヘルマンが会社を創設してから100周年を記念して、オールド・ハバナのカーレ・アミスタッドにH・アッブマンの新工場がオープンした。H・アッブマンのシガーは2003年までこの工場で生産されていた。
ハバナ産アッブマンは、マイルド〜ミディアムの非常に繊細で滑らかなシガーだ。全般的に満足のいく出来だが、一部の機械製では作りや燃え方に問題があり、過熱して若い後味を残すものもある。しかし初心者向けとしては良いシガーで、軽い食事の後にも適している。キューバ産アッブマンには30種類以上のサイズが存在し、その中にはほとんど同じようなものも少なくない。一部のサイズはチューブ入りで販売されているが、この中には機械製のものも含まれるので注意が必要だ。ただし、イギリスには手作りのものしか輸入されていない。


アッブマンの名前を冠したハンドメイド・シガーは、ドミニカ共和国のコンソリデーテッド・シガー社でも生産されている。これらにはカメルーン・ラッパーと中南米産のフィラーが使われている。ラッパーには通常、オイリーなコロラドで、マイルド〜ミディアムのなかなか良いシガーだ。作りもしっかりしている。コロナ・インペリアレス、ロンズデール、コロナ、ペティ・コロナ、チャーチルなどのサイズは12本入りボックスで販売され、6サイズはチューブ入りでも売られている。ドミニカ産アッブマンのラベルには「H.UPMANN1844」と記され、一方キューバ産アッブマンには「H.UPMANN HABANA」と書かれている。


ちなみにケネディ元大統領がアッブマン好きであったことはあまりにも有名な話しだ。
| シガー・カタログ | 18:34 | comments(0) | - |
GRIFFIN`S(グリフィン)
グリフィンは、ジノ・ダビドフの初期の弟子の一人、ジュネーブのバーナード・H・グロベットにより創設されたブランドだ。彼はヨーロッパで誰よりも早く、10年以上も前に、ドミニカ共和国産シガーの可能性に目をつけた。近年では、グリフィンの製造方法、マーケティングはともに、グロベットのかつての恩師の組織、ダビドフの影響を受けている。


コネチカット・ラッパーに包まれたシガーは見栄えもよく、作りも確かだ。味は、この種の外見のドミニカ産フィラーに期待する通りのもので、価格は一般シガーの中では比較的高い。
| シガー・カタログ | 18:33 | comments(0) | - |
MONTECRISTO(モンテクリスト)
モンテクリストは最もポピュラーなハバナシガーで、毎年キューバから輸出されるシガーの約半分には、そのシンプルな茶色と白のバンドが巻かれている。だが皮肉なことに、1935年にこのブランドが誕生した当時、創業者のアロンソ・メネンデスとぺぺ・ガルシアは、モンテクリストを5サイズに限定し、流通量も制限しようと考えていた。両者はイギリスのJ・フランコウ社からH・アップマンというブランドを買い取ったばかりで、このブランドのバリエーションを広げることが二人の主な狙いだったのだ。当初、H・アップマン・モンテクリスト・セレクションと呼ばれたモンテクリストのシガーは、メネンデスのシガー作りの技とガルシアのシガー生産に関する知識を試すべく、ニューヨークのダンヒルを通じて高級サイドアイテムとして販売された。


単なるモンテクリストに名前が変更されたのは、イギリスでの販売代理店に選ばれたジョン・ハンターという会社のアイデアがきっかけだった。ライバルのフランコウ社がH・アッブマンを取り扱っているため、同社はモンテクリストを独立したブランドとして差別化したいと考えたのだ。目に鮮やかな赤と黄色のボックスのデザインや、その上に描かれた三角形の剣が交差した絵柄を考え出したのも、ハンター社だった。


第二次世界大戦中、ハバナシガーのイギリスへの輸入が制限されちめ、モンテクリストはダンヒル・ストアを通じて、主としてアメリカで販売された。初期のファンとして知られるアルフレッド・ヒッチコックは、戦時統制によって入手できなくなったイギリスの友人に定期的にモンテクリストを送ってやっていた。


戦後も、テュボスが加わった以外、モンテクリストのラインナップは変わらなかった。
カストロが権力を握ってまもなく、メネンデス及びガルシア一族はカナリア諸島に移住した。しかし、キューバに残ったあるある伝説的人物のおかげで、ブランドの一貫性はある程度保たれた。その人物とは「マンギラ」と呼ばれるホセ・マヌエル・ゴンザレスだ。ハバナでは今も史上最高のシガーローラーと考えられている「マシンギラ」は、監督下のローラーたちにとっては最も厳しい親方の一人でもある。安定した品質、そしてモンテクリストを特徴づけている独特のブレンドの大部分が彼の功績だ。


1970年代初頭、モンテクリストAに加え、コイーバのNo.1、No.2、No.3と同じサイズのシガーが、エスペシャル、エスペシャルNo.2及びジョイータとして仲間入りした。これと時を同じくして、モンテクリストは大きく飛躍する。歌手のトム・ジョーンズやイギリスの映画プロデューサー、ルー・グレードをはじめ、ショービジネス界に多くのファンを獲とくした。


この成功によって問題が生じたという見方もある。例えば、スペインに輸出される莫大な量のモンテクリストの質を一定に保つことは、確かに大変な仕事だ。市場規模がより小さいイギリスのような国でなければ、高い品質水準を維持することは難しいと考える人が多い。スペインの専売公社タバカレラとキューバタバコの間で商標をめぐる対立が生じたことから、モンテクリストが撤退することになると、スペインでは社会不安に近い大騒動が勃発した。


この商標をめぐる問題は、フランスはともかく、少なくともスペインでは解決の兆しが見え始めている。しかし、アメリカでドミニカ産モンテクリストが発売されたことは、これとは無関係だ。


独特のややオイリーなコロラド・クラロのラッパーを使ったモンテクリストは、繊細な香りとミディアム〜フルボディの味にピリッとした辛みがアクセントとなっている。ピラミッドサイズのトレードマークといえばNo.2だが、多くの愛好家はNo.1(セルバンテス)に優るものはないと考えている。
| シガー・カタログ | 18:32 | comments(0) | - |
DAVIDOFF(ダビドフ)
ダビドフの名は、スタイルとクオリティの代名詞として世界中に知れわたっている。製品は紳士用の香水からネクタイ、メガネ、コニャック、ヒュミドール、ブリーフケースに至るまで多岐にわたるが、そのベースはあくまでもシガーだ。タバコ製品中心で数百万ドルの企業を築き上げることは、現代の世界では驚くべき偉業と言えるが、それはジノ・ダビドフのインスピレーションと、エルンスト・シュナイダーのビジネスの才覚の賜だろう。


1994年1月14日に88歳で亡くなったジノ・ダビドフの生涯は、さながら20世紀の歴史の縮図だ。キエフに生まれたジノは、虐殺を逃れるため家族とともにスイスのジュネーブに移り住み、そこでタバコ店を開いた。その顧客にはレーニンがいたという。青年ジノは中南米のタバコ生産地を巡り歩いた末、最後にたどり着いたキューバの魅力に生涯取り付かれることになる。ヴィシー政権から大量のハバナ・シガーのストックを入手したジノは、第二次世界大戦が終了したとき、自分が類い稀なシガーの宝の山を手にしていることに気付いた。彼はシガーに対する深い知識と天性の人間的魅力を武器に、1947年、まずキューバのホヨード・モントレーのキャビネットをベースにしたシャトーコレクションを送り出した。続いて1969年、63歳のとき、ダビドフはキューバのタバコ産業からハバナ・ブランドであるというお墨付きを得た。


ジノ・ダビドフとエルンスト・シュナイダーの協力関係が始まったのは1970のことだ。スイスのベーゼルでオッティンガー・インメックス社というシガー輸入会社を営むシュナイダーは、ダビドフ・シガーの可能性に目をつけ、キューバタバコの協力を得て製品を開発した。ダビドフのハバナ・シガーには、それぞれ特徴的な味わいを持つ3つのシリーズがあった。最も重いのはシャトーシリーズで、最も軽いのはドン・ペリニョンNo.1、No.2及びアンバサドリスだ。その中間にサウザンドシリーズがあった。


だが、悲しいことにこれらのシガーはもはや手に入らない。これはオッティンガーとキューバタバコの中違いから生まれた悲劇で、この結果ハバナでのダビドフの生産は終了し、1990年3月以降、生産はドミニカに移されることになった。それまで非常にうまくいっていた両社の破局の理由については、様々な憶測が流れている。


ダビドフとシュナイダーは、その名誉にかけて、以前のシガーの味を再現しようとはしなかった。確かにコンセプトは踏襲されている。サイズはまったく同じで、それぞれ特徴的な味わいを備えた複数のシリーズを揃えるというコンセプトだ。だが、彼らは最高のドミニカ産シガーを作り出すことに挑んだ。全体的な味わいが軽くなるのは仕方ないが、そのシガーはきっと多くのスモーカーに気に入られるに違いない、と彼らの正しさを証明している。しかし以前のダビドフ・ファンの中には、心底がっかりしている人々がいることもまた事実だ。


クラロのコネチカット・ラッパーを使ったドミニカ産ダビドフは、非の打ち所のない完璧な作りを誇る。以前のシャトーシリーズに代わる「グラン・クリュ」シリーズは、最も深く重い味わいを提供する。No.1、No.2、No.3及びアンバサドリスはこのうえなく繊細かつマイルドで、サウザンドシリーズもマイルドな味わいだ。さらに「スペシャル」セレクションとして、スペシャルR(ロブスト)、スペシャルT(ピラミッド)、ダブルR(ダブルコロナ)、最新のスペシャルC(キュールブラ)といったより太いシガーも存在する。


最後に、アニベルサリオと名付けられた2つのサイズがある。この名称はもともと、ジノの80回目の誕生日を記念して作られたスペシャル・エディションのキューバ産シガーに初めて使用されたものだ。これらは、このサイズのシガーとしては驚くほどの軽さが特徴だ。
| シガー・カタログ | 17:36 | comments(0) | - |
COHIBA(コイーバ)
1968年創業のコイーバは、ハバナ・シガーの歴史の中では比較的新しいブランドである。にも関わらず、コイーバを取り巻く神話がこれほど多く存在することは驚きだ。例えば、「コイーバ」という名前そのものについて。「コイーバ」ハ原住民であるタイーノ・インディアンの間で、タバコを意味する言葉だったとかつて言われていた。だが現在では、シガーを意味する言葉だったという考えが一般的だ。また、その誕生にチェ・ゲバラが関わっていたというもの。エル・ラギート工場の社長室にはチェ・ゲバラの肖像画がかけられているかもしれないが、ゲバラはコイーバが誕生する前の1965年に産業大臣の職を辞し、同年10月には死亡していることから、彼がコイーバと何らかの関わりを持っていたとしても、それはほんのわずかな間のことだっただろう。最後に、コイーバはすべてエル・ラギートで作られているという伝説!これも過去20年以上にわたって事実だったが、今は違っている。


コイーバの起源に関する真実は、1994年6月から2004年までエル・ラギートの最高責任者を務めたエミリア・タマヨが語っている。すべては1960年代半ばに始まったと証言している。当日、フィデル・カストロのボディーガードの一人が、地元の職人に作らせたシガーを個人的に楽しんでいた。カストロがこのシガーを大変気に入ったことから、それを作ったエデュアルド・リベラいう人物は、カストレ専用にオリジナル・ブレンドのシガーを作るよう依頼された。そしてこの作業は、厳重な警備ののもと、ハバナ郊外のエル・ラギートにあったイタリア様式の大邸宅で行われることになった。


当初、このブランドには名前がなかったが、1968年にコイーバという名称がつけられ、カストロが個人的に気に入っていた3つのサイズ(ランセロ、コロナス・エスペシャル、バナテラ)の生産が開始された。3種類はいずれもそれまでにないサイズだったため、新たにラギートNo.1、   No.2、No.3というファクトリー・ネームがつけられた。


14年の間、この3種類のコイーバは、政府のトップが外交目的などに使用する以外は門外不出とされていた。しかし、1969年に自身のブランドを認可されたダビドフが、まず異なるブレンドを使ったコイーバと同じサイズのシガーをNo.1、No.2及びアンバサドリスとして発売した。続いて1970年代初期にはモンテクリストが、エスペシャル、エスペシャルNo.2及びジョイータと名付けた同様のサイズを発表した。


この時期を含め、26年間にわたってコイーバを統括したのは、1968年にリベラの後継者となったアベリーノ・ララだった。ララは、全員がトップクラスのシガー・ローラーだった4人兄弟の長男で、彼が定めた3つの原則が、コイーバを高級ブランドに、そして世界最高のシガーの地位に押し上げることになった。


第一に、ララは「選りすぐり中の選りすぐり」を要求する。ブエルタ・アバホで十指に入る畑からとれたタバコが彼の下に集められる。毎年、彼はラッパー、バインダー、リヘロ、セコ、ボラード用にそれぞれ最も優れた5種類の葉を自ら選ぶ。第二に、特別な三次発酵を行う。コイーバ独自の特徴であるこの工程は、リヘロとセコだけに適用される。水分を加えながら弛むの中で発酵させることにより、これらの葉からは、最後の一滴まで渋味が取り除かれる。エル・ラギート工場では、それはすべて女性だ。


1982年までにこの伝説的シガーの噂が広まると、これをスペイン国王や各国の国家元首ら以外にも提供しようという決定が下された。7年後、さらにエスプレンディード(チャーチル)、ロブスト、エクスクイジートの3つのサイズが登場した。長さ5インチ、リングゲージ36のエクスクイジートは、やはりそれまでにないサイズだった。この3つの中で、今もエル・ラギートで生産されているのはエクスクイジートだけで、残りの2つはH・アップマンとパルタガスで生産されている。


コロンブスがキューバでシガーを発見してから500年経ったのを記念して、リネア1492と呼ばれる5つのサイズが新たに登場した。これに伴い、6つの旧サイズはリネア・クラシカと呼ばれることになった。この後、ロンドンのクラリッジ・ホテルで開かれた豪華な晩餐会でお披露目された。コロンブスによる発見から5世紀が経ったことを記念してシグロ(世紀の意味)機↓供↓掘↓検↓垢般症佞韻蕕譴燭海譴蕕離轡ーは、今はもうキューバで生産されていないダビドフのシガーに、偶然とは思えないほどよく似ている。パルタガスで作られた5種類の新シリーズは、リネア・クラシカに比べて軽い味わいと言われる。リネア・クラシカは、特に大型のサイズでは類い稀な深い味わいが自慢である。


アメリカの一部のシガー・ショップでは、ドミニカ共和国産のコイーバが売られていることがある。これらは上述のシガーとは別物で、1980年代初期にコイーバという商標をアメリカで登録したジェネラル・シガーによるものだ。アメリカとキューバの間で貿易禁止措置撤廃の兆しがようやく見え始めたとき、コイーバをはじめとするあらゆるハバナ・ブランドがアメリカのシガー・ショップの棚にあふれかえると多くの人が信じたが、そうはならなたった。かわりに、商標をめぐる世界で最も複雑な争議が開始され、弁護士だけが高笑いすることになった。
| シガー・カタログ | 17:09 | comments(0) | - |

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